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2006年1月30日 (月)

更新を

サボってしまいました。

「そのとき、お前たちはわたしが主なる神であることを知るようになる。」

エゼキエル書 23:49

「聖書は文脈で読まないといけない」なんて以前には書いておきながら、今日は一節のしかも半分だけ書き出しました。実はこの前の部分は罪を犯した人とその人に対する神の裁きについて書かれています。そして最後に

「そのとき、お前たちはわたしが主なる神であることを知るようになる。」

と語られています。神様の大いなる愛を感じます。

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせる(あわせる)ことはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。

コリントの信徒への手紙 一 10:13

いつも主なる神様を見上げていきたいものです。神様に信頼し、すべてをゆだねるとき、道は開けてきます。ハレルヤ!主よ感謝します。

自作パソコンは修理から返ってきました。設定だけの問題だけだったようです。それなら、電話で教えてもらうと直りそうだっただけに残念です。さあ、いよいよウインドウズ・メディアセンターエディションを使えるようにしていきます。

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2006年1月26日 (木)

詩編104編

わたしの魂よ、主をたたえよ。

主よ、わたしの神よ、あなたは大いなる方。

栄(さかえ)と輝きをまとい

光を衣として身を被っておられる。

天を幕のように張り

天上の宮を梁の水の中にわたされた。

雲を御自分のための車とし

風の翼に乗って行き巡り

さまざまな風を伝令とし

燃える火を御もとに仕えさせる。

主は地をその基の上に据えられた。

地は、世々限りなく、揺らぐことがない。

深淵は(しんえん)は衣となって地を覆い

水は山々の上にとどまっていたが

あなたが叱咤(しった)されると散って行き

とどろく御声に驚いて逃げ去った。

水は山々を上り、谷を下り

あなたが彼らのために設けられたところに向かった。

あなたは境を置き、水に越えることを禁じ

再び地を覆うことを禁じられた。

主は泉を湧き上がらせて川とし

山々の間を流れさせられた。

野の獣はその水を飲み

野ろばの渇きも潤される。

水のほとりに空の鳥は住み着き

草木の中から声をあげる。

主は天上の宮から山々に水を注ぎ

御業の実りをもって地を満たされる。

家畜のためには牧草を茂らせ

地から糧を引き出そうと働く人間のために

さまざまな草木を生えさせられる。

ぶどう酒は人の心を喜ばせ、油は顔を輝かせ

パンは人の心を支える。

主の木々、主の植えられたレバノン杉は豊かに育ち

そこに鳥は巣をかける。

こうのとりの住みかは糸杉の梢(こずえ)。

高い山々は野山羊(のやぎ)のため。

岩狸(いわだぬき)は岩場に身を隠す。

主は月を造って季節を定められた。

太陽は沈むときを知っている。

あなたが闇を置かれると夜になり

森の獣は皆、忍び出てくる。

若獅子(わかじし)は餌食(えじき)を求めてほえ

神に食べ物を求める。

太陽が輝き昇ると彼らは帰って行き

それぞれのねぐらにうずくまる。

人々は仕事に出かけ、夕べになるまで働く。

主よ、御業はいかにおびただしいことか。

あなたはすべてを知恵によって成し遂げられた。

地はお造りになったものに満ちている。

同じように、海も大きく豊かで

その中を動きまわる大小の生き物は数知れない。

船がそこを行き交い

お造りになったレビヤタンもそこに戯れる。

彼らはすべて、あなたに望みをおき

ときに応じて食べ物をくださるのを待っている。

あなたがお与えになるものを彼らは集め

御手を開かれれば彼らは良い物に満ち足りる。

御顔を隠されれば彼らは恐れ

息吹を取り上げられれば彼らは生絶え

元の塵(ちり)に返る。

あなたは御自分の息を送って彼らを創造し

地の面(おもて)を新たにされる。

どうか、主の栄光がとこしえに続くように。

主が御自分の業を喜び祝われるように。

主が地を見渡せれれば地は震え

山に触れられれば山は煙をあげる。

命ある限り、わたしは主に向かって歌い

長らえる限り、わたしの神にほめ歌をうたおう。

どうか、わたしの歌が御心(みこころ)にかなうように。

わたしは主によって喜び祝う。

どうか、罪ある者がこの地からすべてうせ

主に逆らう者がもはや跡を絶つように。

わたしの魂よ、主をたたえよ。

ハレルヤ。

詩編 104編のすべて(1~35)

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2006年1月25日 (水)

エレミアの召命

主の言葉がわたしに望んだ。

「わたしはあなたを母の胎内に造る前から

あなたを知っていた。

母の胎から生まれる前に

わたしはあなたを聖別し

諸国民の預言者として立てた。」

わたしは言った。

「ああ、わが主なる神よ

わたしは語る言葉を知りません。

わたしは若者にすぎませんから。」

しかし、主はわたしに言われた。

「若者にすぎないと言ってはならない。

わたしがあなたを、だれのところへ

遣わそうとも、行って

わたしの命じることをすべて語れ。

彼らを恐れるな。

わたしがあなたと共にいて

必ず救い出す」と主は言われた。

主は手を伸ばして、わたしの口に触れ

主はわたしに言われた。

「見よ、わたしはあなたの口に

わたしの言葉を授ける。

見よ、今日、あなたに

諸国民、諸王国に対する権威をゆだねる。

抜き、壊し、滅ぼし、破壊し

あるいは建て、植えるために。」

エレミア書 1:4~10

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2006年1月24日 (火)

生まれつきの盲人をいやす

 さて、イエスは通りすがりに、目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。わたしは、世にいる間、世の光である。」こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。そして、「シロアム---『遣わされた者』という意味---の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。近所の人々や、彼が物乞いであったのを前に見ていた人々が、「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」と言った。「その人だ」と言う人もいれば、「いや違う。似ているだけだ」と言う人もいた。本人は、「わたしがそうなのです」と言った。そこで人々が、「では、お前の目はどのようにして開いたのか」と言うと彼は答えた。「イエスという方が、土をこねてわたしの目に塗り、『シロアムに行って洗いなさい』と言われました。そこで、行って洗ったら、見えるようになったのです。」人々が「その人はどこにいるのか」と言うと、彼は「知りません」と言った。

ヨハネによる福音書 9:1~12

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2006年1月23日 (月)

新しい出エジプト

 見よ、このような日が来る、と主は言われる。人々はもう、「イスラエルの人々をエジプトから導き上られた主は生きておられる」と言わず、「イスラエルの子らを、北の国、彼らが追いやられた国々から導き上られた主は生きておられる」と言うようになる。わたしは彼らを、わたしがその先祖に与えた土地に帰らせる。

 見よ、わたしは多くの漁師を遣わして、彼らを釣り上げさせる、と主は言われる。その後、わたしは多くの狩人を遣わして、すべての山、すべての丘、岩の裂け目から、彼らを狩り出させる。わたしの目は、彼らのすべての道に注がれている。彼らはわたしの前から身を隠すこともできず、その悪をわたしの目から隠すこともできない。まず、わたしは彼らの罪と悪を二倍にして報いる。彼らがわたしの地を、憎むべきものの死体で汚し、わたしの嗣業(しぎょう)を忌むべきもので満たしたからだ。

 主よ、わたしの力、わたしの砦(とりで)

 苦難が襲うときの逃れ場よ。

 あなたのもとに

 国々は地の果てから来て言うでしょう。

 「われわれの先祖が自分のものとしたのは

 偽りで、空しく、無益なものであった。

 人間が神を造れようか。

 そのようなものが神であろうか」と。

 それゆえ、わたしは彼らに知らせよう。

 今度こそ、わたしは知らせる

 わたしの手、わたしの力強い業を。

 彼らはわたしの名が主であることを知る。

エレミア書16:14~21

きのう書きました今週のみことばのその前の文脈を書き出しました。聖書は文脈で読まないと正しく理解できないと言われています。それ以上に聖霊さまの助けがなければ神様を知ることはできません。今日のエレミア書で

 「人間が神を造れようか。

  そのようなものが神であろうか」

とあります。天地万物を創られた偉大な神様をちっぽけな人間の頭で理解できるはずがありません。神様をわたしたちの頭で理解できるなら、その神様はわたしたちより小さい存在ということになってしまわないでしょうか?聖書には不思議なことがたくさん書かれています。現代の人間にも共通する数々のドラマもあります。決してキレイごとばかりではありません。罪に陥った先人たちも描かれています。これはクリスチャンになった当方にとっても他人ごとではありません。今だに、しょちゅう神様から離れ、みことばを忘れてしまう弱い者です。

でも、わたしたちには十字架の救いがあります。神様のまえに静まって、正直に罪を告白し、十字架を見上げていきたいものです。

「主に望みをおく人は新たな力を得

鷲のように翼を張って上る。

走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」

イザヤ書 40:31

神様に望みをおいて、神様から力をいただいて、今日も生きていきます。

ありがとうございます。

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2006年1月22日 (日)

今週のみことば

それゆえ、わたしは彼らに知らせよう。

今度こそ、わたしは知らせる

わたしの手、わたしの力強い業を。

彼らはわたしの名が主であることを知る。

エレミア書 16:21

西須磨福音ルーテル教会 今週のみことばです。

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2006年1月21日 (土)

わたしを求めて生きよ

まことに、主はイスラエルの民にこう言われる。

わたしを求めよ、そして生きよ。

しかし、べテルに助けを求めるな

ギルガルに行くな

ベエル・シェバに赴くな。

ギルガルは必ず捕らえられ移され

べテルは無に帰するから。

アモス書 5:4~5

ハレルヤ!天の神様。あなたのお名前を賛美します。

今日もあなたを求めて生きることができるように

導いてください。ありがとうございます。

イエスさまの十字架の救いのみわざに感謝します。

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2006年1月20日 (金)

主は生きておられる

「立ち帰れ、イスラエルよ」と

主は言われる。

「わたしのもとに立ち帰れ。

呪うべきものをわたしの前から捨て去れ。

そうすれば、再び迷い出ることはない。」

もし、あなたが真実と公平と正義を持って

「主は生きておられる」と誓うなら

諸国の民は、あなたを通して祝福を受け

あなたを誇りとする。

エレミヤ書 4:1~2

自作のパソコンですが、やっぱりハードディスクが正常に動いてくれません。BIOSでは認識しているのにDOS画面みたいな再起動中に現れるところでは「DISABLED」になっています。これを「ENABLED」にする設定も分かりません。当然、OSのインストールもできません。これは、シリアルATAでもIDEでもどちらのHDDをそれぞれ単独でつないでみても同じでした。ちなみに、マザーボードのメーカーサイトに「シリアルATAのHDDを1台だけ接続するときとの設定」がありました。それに従い、RAIDを無効にしましたが、ダメでした。そこで、購入先のサポートに電話すると、意外とあっさり「では一旦送り返してください」と言われてしまいました。もっとあれやこれやと聞かれるのかと思っていたので拍子抜けしました。梱包して送るのは手間ですから、電話で設定方法だけ教えてもらって直る方がよかったのですが、仕方ありません。当方は、このたびの自作パソコンは「主の御用のために用いてください」と祈りつつ製作しています。神様がみこころの道に導いてくださっていると信じて従いたいです。ありがとうございます。

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2006年1月19日 (木)

雹(ひょう)の災い

「ファラオの家臣のうち、主の言葉を畏れた者は、自分の僕と家畜を家に避難させたが、主の言葉を心に留めなかった者は、僕と家畜を野に残しておいた。」

出エジプト記 9:20~21

ハレルヤ!天の神様、あなたのお名前を賛美します。わたしも弱い者です。神様に逆らって、自分の力で生きようとするファラオのような考え方もしてしまいます。どうか、わたしたちをお守りくださいまして、神様を畏れて、神様のみことばに励まされて生きることができますようにしてください。イエスさまが十字架の上で苦しまれ、そして死を打ち砕き、勝利されたことを感謝します。わたしたちはイエスさまを信じるだけで永遠の命をいただけますから、ありがとうございます。まだ、信じていない人がおられましたら、一日も早くこの恵みを受けることができるように導いてください。

わたしたちの救い主、イエス・キリストのお名前を通してお祈りします。

アーメン。

バスどらヤンGの祈りでした。

ただいま、自作パソコンを製作中です。シリアルATAのハードディスクを購入したため、ちょっとつまずいています。。。

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2006年1月18日 (水)

指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。

いつまで、主よ

   わたしを忘れておられるのか。

いつまで、御顔をわたしから隠しておられるのか。

いつまで、わたしの魂は思い煩い

日々の嘆きが心を去らないのか。

いつまで、敵はわたしに向かって誇るのか。

わたしの神、主よ、顧みてわたしに答え

わたしの目に光を与えてください

死の眠りに就くことのないように

敵が勝ったと思うことのないように

わたしを苦しめるものが

   動揺するわたしを見て喜ぶことのないように。

あなたの慈しみ(いつくしみ)により頼みます。

わたしの心は御救いに喜び踊り

主に向かって歌います

「主はわたしに報いてくださった」と。

詩編 13編1~6

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2006年1月17日 (火)

今週のみことば

「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼(バプテスマ)を受けられた。」

マルコによる福音書 1:9

西須磨福音ルーテル教会 今週のみことばです。

今日は阪神・淡路大震災から11年目です。大自然の営みを目にするとき人間の非力さを思い知らされます。神様が天地万物を創造されて、支配されてるのにどうしてあんな災害や飢饉や争いごとが起きるのかと言われる人がいるかもしれません。あのような大惨事は何の罪もないように思われる子供たちの命までも奪ってしまいます。

「しかし、主は真実な方です。必ずあなた方を強め、悪い者から守ってくださいます。」 

(テサロニケの信徒への手紙 二 3:3)

わたしたちは目に見えるものがすべてのように思え、目に見える物だけを信じようとしてしまう弱いものです。

「草は枯れ、花はしぼむが

わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。」

(イザヤ書 40:8)

わたしたちにはこの地上での別れが訪れたとしても、天国での再会が待っています。イエスさまが十字架の上でわたしたちの罪の身代りに死んで三日目によみがえってくださったおかげで、わたしたちはイエスさまを信じて受け入れるだけで永遠の命にあずかることができます。

今日もとこしえに変わらない神様の言葉(聖書)を受け入れ、真実な神様によりたのむ者でありたいものです。

感謝します。

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2006年1月16日 (月)

The Glory of Zion

Arise, shine, for your light has come,

and the glory of the Lord rises upon you.

See, darkness covers the earth

   and thick darkness is over the poeples,

but the Lord rises upon you

  and his glory appears over you.

Nations will come to your light,

  and kings to the brightness of your dawn.

ISAIAH 60:1~3

栄光と救いの到来

「起きよ、光を放て。

あなたを照らす光は昇り

主の栄光はあなたの上に輝く。

見よ、闇は地を覆い

暗黒が国々を包んでいる。

しかし、あなたの上には主が輝き出で

主の栄光があなたの上に現れる。

国々はあなたを照らす光に向かい

王たちは差し出でるその輝きに向かって歩む。

イザヤ書 60:1~3

 

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2006年1月15日 (日)

主の僕の召命

見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。

わたしが選び、喜び迎える者を。

彼の上にわたしの霊は置かれ

彼は国々の裁きを導き出す。

彼は叫ばす、呼ばわらず、声を巷に響かせない。

傷ついた葦を折ることなく

暗くなっていく灯心を消すことなく

裁きを導き出して、確かなものとする。

暗くなることも、傷つき果てることもない

この地に裁きを置くときまでは。

島々は彼の教えを待ち望む。

主である神はこう言われる。

神は天を創造して、これを広げ

地とそこに生ずるものを繰り広げ

その上に住む人々に息を与え

そこを歩く者に霊を与えられる。

主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び

あなたの手を取った。

民の契約、諸国の光として

あなたを形づくり、あなたを立てた。

見ることのできない目を開き

捕らわれ人をその枷から

闇に住む人をその牢獄から救い出すために。

イザヤ書 42:1~7

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2006年1月14日 (土)

恐るべき者

「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。誰を恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」 

ルカによる福音書 12:4~7

イエスさまが十字架で身代わりに死んでくだいました。そのおかげで私たちはあなたを信じるだけで救われてます。ありがとうございます。永遠の命をいただいていることに感謝します。どうぞ、まだイエス様を知らない方、信じていない方は、聖書を信じてみてください。イエス・キリストを救い主、助けぬしと信仰してみてください。

イエス様を信じるようになると、人生が楽になります。ツライことも待ち受けていますが、永遠の命の約束があるから、耐え忍ぶことができます。

「しかし、主は真実な方です。必ずあなたがたを強め、悪い者から守ってくださいます。」

テサロニケの信徒への手紙 二 3:3

バスを運転する今の仕事はとても楽しいです。今まで、色々な仕事を転々としてきてやっと本当に心から楽しいと思える仕事に出会いました。こんな楽しい仕事にめぐりあえたのも神様の導きであると感謝します。

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2006年1月13日 (金)

恵みの祝福

ツァドク家の祭司長アザルヤはこう答えた。「主の神殿に献納物の奉納が始まってから私たちは食べ物に不足はなく、むしろたくさん残ってしまうほどです。主はその民を祝福してくださいました。この大量のものが残っています。」

 (途中省略)

 ヒゼキヤはユダの全土にこのように行い、自分の神、主の御前に良い事、正しい事、真実な事を行った。彼は神殿における奉仕について、また律法と戒めについて、神を求めて始めたすべての事業を、心を尽くして進め、成し遂げた。

歴代誌下 31:10, 20~21

ヒゼキアは人の手によって作られた石柱やアシュラ像などの偶像を破壊しました。そして、主の律法に記されているとおりに収穫のうちから十分の一を献げるように民に命じました。そうするようになってから、余ってしまうぐらいの食べ物が与えられるようになったというではありませんか。。。なんと素晴らしいことでしょう。

そして、

「神を求めて始めたすべての事業を、心を尽くして進め、成し遂げた。」

とあります。神様の大きな御計画の中に生かされている事を実感します。

当方も神様を求めて、そして神様から与えられた事業を、心を尽くして進め、

そして成し遂げたいものです。当方にとって新しい事業とはなんでしょうか?

当面は正式なホームページを開設したいです。そして、そのホームページに載せる

バスの写真を撮るために新しいデジタル一眼レフカメラが欲しいです。

偉大なる神様の御名前を賛美します。信じて待ち望みます。

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2006年1月12日 (木)

神様はやっぱり

何でも知っておられます。最近の当方の心情にぴったりのみことばが与えられました。

「ナアマ人ツォファルは答えた。

さまざまな思いがわたしを興奮させるので

わたしは反論せざるをえない。

あなたの説はわたしに対する非難と聞こえる。

明らかにすることを望んで、答えよう。

あなたも知っているだろうが

昔、人が地上に置かれたときから

神に逆らう者の喜びは、はかなく

神を無視する者の楽しみは、つかの間にすぎない。

たとえ彼が天に達するほど

頭が雲に達するほど上っていっても

自分の汚物同様、永久に失われ

探す者は、『どこへ行ってしまったのか』

   と言わなければならなくなる。

夢のように飛び去り

夜の幻のように消えうせ

だれも見いだすことはないだろう。

彼を見ていた目はもう彼を見ることなく

彼のいた所も二度と彼を見ない。

その子らは貧しい人々に償いをし

子孫は奪った富を返済しなければならない。

若さがその骨に溢れていたが

それも彼と共に塵の上に伏すことになろう。」

ヨブ記 20:1~11

新しいホームページを制作するにあたり、あれこれ思案していると

確かにいろいろと興奮することもあります。写真を充実させるために

新しいデジカメも欲しいですし、未知の領域にもチャレンジしたいのです。

そのような状況にあっても、常に祈りとみことばによって神様から新しい

力をもらって前進できる者でありたいものです。

プロ野球のイチロー選手も言っています。試合に勝つためには

「平常心が必要である」と。

心静まって主を待ち望みます。

救い主、イエス・キリストさまに感謝しつつ。。。

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2006年1月11日 (水)

ファラオとの交渉

モーセは主のもとに帰って、訴えた。

 「わが主よ。あなたはなぜ、この民に災いをくだされるのですか。わたしを遣わされたのは、一体なぜですか。わたしがあなたの御名によって語るため、ファラオのもとに行ってから、彼はますますこの民を苦しめています。それなのに、あなたは御自分の民を全く救い出そうとされません。」

 主はモーセに言われた。

 「今や、あなたは、わたしがファラオにすることを見るであろう。わたしの強い手によって、ファラオはついに彼らを去らせる。わたしの強い手によって、ついに彼らを国から追い出すようになる。」

出エジプト記 5:22~6:1

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2006年1月10日 (火)

モーセ、エジプトに戻る

 主はアロンに向かって、「さあ、荒れ野へ行って、モーセに会いなさい」と命じられたので、彼は出かけて行き、神の山でモーセと会い、口づけした。モーセは自分を遣わされた主の言葉と、命じられたしるしをすべてアロンに告げた。モーセはアロンを伴って出かけ、イスラエルの人々の長老を全員集めた。アロンは主がモーセに語られた言葉をことごとく語り、民の前でしるしを行ったので、民は信じた。また、主が親しくイスラエルの人々を顧み、彼らの苦しみを御覧になったということを聞き、ひれ伏して礼拝した。

出エジプト記 4:27~31

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2006年1月 9日 (月)

主は生きておられる

もしこれらの民が、かつてバアルによって誓うことをわたしの民に教えたように、わが名によって、『主は生きておられる』と誓うことを確かに学ぶならば、彼らはわたしの民の間に建てられる。もし彼らが従わなければ、わたしはその民を必ず抜き捨てて、滅ぼす」と主は言われる。

エレミア書 12:16~17

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2006年1月 8日 (日)

占星術の学者たちが訪れる

 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤの王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長や律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。

『ユダの地、ベツレヘムよ、

お前はユダの指導者たちの中で

決して一番小さいものではない。

お前から指導者が現れ、

わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」

 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

マタイによる福音書 2:1~12

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2006年1月 7日 (土)

まことの神様とは

どんな方でしょうか?

神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」

出エジプト記 3:14

「わたしはある」って日本語では分かりにくいですね・・・。英語なら

"I am who I am."

「わたしはわたし。」直訳すればそんな感じですが、お分かりいただけるでしょうか?

絶対的な存在感を現しているとも言えます。神様が天地万物や人間を創造されました。我々人間よりも遙か前から神様は生きて働いておられます。もちろん今も生きて、あなたにも救いの手を差しのべておられます。

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2006年1月 6日 (金)

栄光と救いの到来

「起きよ、光を放て。

あなたを照らす光は昇り

主の栄光はあなたの上に輝く。

見よ、闇は地を覆い

暗黒が国々を包んでいる。

しかし、あなたの上には主が輝き出で

主の栄光があなたの上に現れる。

国々はあなたを照らす光に向かい

王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む。

目を上げて、見渡すがよい。

みな集い、あなたのもとに来る。

息子たちは遠くから

娘たちは抱かれて、進んでくる。

そのとき、あなたは畏れつつも喜びに輝き

おののきつつも心は晴れやかになる。

海からの宝があなたに送られ

国々の富はあなたのもとに集まる。

らくだの大群

ミディアンとエファの若いらくだが

あなたのもとに押し寄せる。

シェバの人々は皆、黄金と乳香を携えて来る。

こうして、主の栄誉が宣べ伝えられる。」

イザヤ書 60:1~6 

アーメン、ハレルヤ!主のお名前を賛美します。

このみことばにはとても勇気づけられます。

暗闇のなかにいるように思えても神様は守ってくださいます。

感謝します。わたしたちの罪を背負って十字架にかかってくださった

イエス・キリストさまに感謝します。ありがとうございます。

イエスさまのおかげでわたしたちは救われて天国に行けます。

どうぞこんな小さなわたしを用いてください。あなたのご用のためにお使いください。

御国の働きのために協力します。

あなたから頂いた大きな恵みを少しでもお返しさせてください。

あなたは大きな計画のもとに進めておられますから感謝します。

信じて、期待して、私たちの救い主、イエス・キリストさまのお名前によって祈ります。

アーメン。

バスどらヤンGの祈りでした。

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2006年1月 5日 (木)

今週の御言葉

「幼子はイエスと名付けられた。」

ルカ2:21

今日も聖書のみことばに励まされて歩むことができますように。。。

西須磨福音ルーテル教会の今週の御言葉です。

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2006年1月 4日 (水)

ユダの王ヨシヤ

ヨシヤは8歳で王となり、三十一年間エルサレムで王位にあった。その母は名をエディダといい、ボツカト出身のアダヤの娘であった。彼は主の目にかなう正しいことを行い、父祖ダビデの道をそのまま歩み、右にも左にもそれなかった。

列王記下 22:1~2

バスどらの独り言とサブタイトルをつけておきながら最近は聖書のことばかり書いています。諸般の事情によりこのような事態になっております。

とはいえ心静まって、神様に祈りつつ聖書のみことばをいただくことは、何にも代えがたい素晴らしいひとときです。聖書は神の霊感によって書かれた書物です。そこには人間のあらゆるドラマが詰まっています。人生の選択に悩むとき、事業に行き詰まったとき、聖書を開けば、神様が語りかけてくださいます。どうぞ、気軽に聖書を読んでみてください。

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2006年1月 3日 (火)

男児殺害の命令

エジプト王は二人のヘブライ人の助産婦に命じた。一人はシフラといい、もう一人はプアといった。「お前たちがヘブライ人の女の出産を助けるときには、子供の性別を確かめ、男の子なら殺し、女の子ならば生かしておけ。」助産婦はいずれも神を畏れていたので、エジプト王が命じたとおりにはせず、男の子も生かしておいた。エジプト王は彼女たちを呼びつけて問いただした。「どうしてこのようなことをしたのだ。お前たちは男の子を生かしているではないか。」助産婦はファラオに答えた。「ヘブライ人の女はエジプト人の女性とは違います。彼女たちは丈夫で、助産婦が行く前に生んでしまうのです。」神はこの助産婦たちに恵みを与えられた。民は数を増し、甚だ強くなった。助産婦たちは神を畏れていたので、神は彼女たちにも子宝を恵まれた。

出エジプト記1:15~21

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2006年1月 2日 (月)

今日も

いい一日でした。

「祈り。ダビデの詩。

主よ、わたしに耳を傾け、答えてください。

わたしは貧しく、身を屈めています。

わたしの魂をお守りください

わたしはあなたの慈しみに生きる者。

あなたの僕をお救いください

あなたはわたしの神

   わたしはあなたにより頼む者。

主よ憐れんでください

   絶えることなくあなたを呼ぶわたしを。

あなたの僕の魂に喜びをお与えください。

わたしの魂が慕うのは

   主よ、あなたなのです。」

詩編 86:1~4

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2006年1月 1日 (日)

あけまして

おめでとうございます。2006年の幕開けも聖書のみ言葉と共に始めます。今年もいっぱい聖書を読んで、いっぱい主にお祈りして、神様と共に歩みたいものです。

「神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロと兄弟テモテから、コロサイにいる聖なる者たち、キリストに結ばれている忠実な兄弟たちへ。わたしたちの父である神からの恵みと平和が、あなたがたにあるように」

コロサイの信徒への手紙 1:1~2

Paul, an apostle of Christ Jesus by the will of God, and Timothy our brother,

   To the holy and faithful brothers in Christ at Colosse:

   Grace and peace to you from God our father.

Colossians 1:1~2

神様の恵みがみなさんにありますように。

さて、今年はこのブログも有料コースに切り替えて本格的な公開をしたいです。今はまだ準備段階です。知り合いや友達にはアドレスを伝えていません。正味のインターネットだけでこのサイトを見つけてトラックバックに書き込んでくださる方が現れることを期待しています。有料コースの変更はその後を考えています。どんどん、書き込みをお願いします。

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